面白さ・ユーモア - ページ 613

 

大人って、そうなんだ :)

 
 
Mischek:

なんと、326KM/時
 
moskitman:
男の人の声だったかな?もしかして、自己紹介で名前だけだったとか?バンクトララララ、デパートララララ、ヴァレリー」みたいな。名前..."
ヴァレリー、契約書を作成する相手の 姓、名、氏名を言ってください」と言われました。つまり、前回はオペレーターが十分に文章を仕上げていなかったのです :)
 

作家を殺すことになる

 
Mischek:

作家を殺すことになる

あるいは今すぐ - 同時に2つのことを与えられない脳の部分とは?

くそ、小4か。

 
 
Mischek: 私なら作者を殺してしまうだろう。

ええ、でも時代の流れで、モスクワ環状線とその先、ソ連時代はそうなっていたんです。

古代都市とオポリェの地。キエフ・ルスの崩壊により、スラブ人の政治・経済の中心は北東部、つまりオカ川とヴォルガ川の合流地点に移った。短い歴史の中で、多くの人口がここに集中した。当時のオポリェは、スラブ地域の中心に位置し、水辺と深い森に守ら れた非常に有利な地理的条件を持っていた。

つまり、モンゴル・タルタルもポーランドも......。または...誰もオポルイに行くことができなかった。そして、ロシア人・スラブ人が住み着いたのはそこからではなく、タタール人などから逃げ出したのです。

 
IgorM:

ええ、でも時代精神としては、MKADとその先、ソ連時代はそうだったんですよ。

モンゴルもポーランドも...あるいは...誰もオポールには行けなかった。しかも、そこはロシア人・スラブ人が入植した場所ではなく、タタール人から逃げてきた場所などです。

そう、そこで彼らはチャドやモルドバに襲われ、女たちは犯され、子供たちは......と呼ばれた。故郷に残されたタタール・タタール人は、スラブ人以下とみなされ、その言語もグレート・アンド・マイトの歪曲とされた。一部の「科学者や公人」が推し進める大ルッシズム論、世界全体の文明の発祥地であったという新味のある説は、非常に好感が持てます。